全般性不安障害。それは、私の人生を大きく変えた。

病気のこと
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こんにちは。
今回は、私自身のお話です。

全般性不安障害でお悩みの方、自分は何かしらの精神疾患を患っているんじゃないかと不安の方、身近に同じ病気をお持ちの方、そんな方々に読んでいただけたら、光栄です。

全般性不安障害。予兆は山ほどあった。

私が病院に行ったのは、美容室でカラーリングをしていた時に、液の匂いを嗅いだ途端、冷や汗、動悸、痺れ、呼吸のしにくさを覚えたからでした。

行ってみたのは、心療内科。
そして診断された「全般性不安障害」。

正直、病名がつくほどのことだとは思っていませんでした。

全般性不安障害とは一般的に、常日頃から不安な気持ちに悩まされ、それが6ヶ月以上続いている場合に診断されます。

6ヶ月以上?

私が医者から言われたのは、以下のような事でした。

人っていうのは不安な時もあれば、不安じゃない時もある。

不安な気持ちを毎日毎日重ねていたら、そりゃあ体にもガタがくる。

人の体っていうのは、毎日不安であることに耐えられる作りをしていないのだから。と。

思い返してみたら、私はいつも不安でした。

歩いていれば、後ろから誰かに刺されるんじゃないかと。

突然、倒れるんじゃないかと。

会社の人達と昼食を食べてる最中に、吐いてしまうんじゃないかと。

そして、動悸は美容室に行く前から酷かったことも自覚していました。

歩いていると、地面が揺れていることにも気付いていました。

電車に乗ると、呼吸がしにくくなることも分かっていました。

そんな時、いつも手足が痺れていました。

予兆は山ほどあったんです。
それを私は見て見ぬふりをした。その結果がこれです。

最初は二週間分の薬から始めました。

不安を取り除く薬を飲むことで、一旦体を正常な状態に戻そうという、医者からの提案でした。

不安を取り除くことで、体がいつも通りの体になり、それで症状が改善されていくとのことでした。

でも結果は、酷くなる一方でした。

当時、元彼と同棲していた私。

酷くなった私に、医者は彼との生活について聞いてきたのです。

結論、医者は早く別れるようにと、平然と私に告げました。

分かるような気がしてしまったのは、少し寂しいけれど、私も彼がことの原因だという自覚がなかった訳では無かったのです。

その後1ヶ月分の薬をもらった私ですが、家にいることがストレスな私は、結局薬で不安を取り除いても、不安になる環境下で生活をしているので、大して効果を表しませんでした。

私はこの時、(これ以外の表現が見つかりませんが)彼から逃げるための引越しのお金を貯めている最中でした。

その1ヶ月、私は家での眩暈、動悸、とにかく体調不良が酷く、常日頃から胃痛と吐き気を催してました。

先にいつまで薬を飲む生活を続けることになったかをお話してしまうと、発病から三年経った今でも飲み続けています。

全般性不安障害は他の精神疾患も併発しやすい?

元彼との別れの目処がついた頃、ある異変が起きました。

彼のことを考えるだけで、酷い痺れと激しい呼吸、眩暈に襲われるようになったんです。

そして、テレビを見ていると、突然左耳が遠くなるような錯覚に陥りました。

医者に説明をすると、軽いパニック障害と解離症だと言われたのです。

耳が遠くなるのは、自分の心と体をストレスから守るために引き離そうとしているからだそうです。

好きだという気持ちが、実は偽りだったんじゃないかとさえ思えてきてしまった私。

この時すでに、抗不安薬とパニックを抑える薬の二種類を毎日欠かさず飲んでいました。

そして、ようやく彼と別れることになりました。

環境が変われば、病状も変わる

彼と別れた途端、恐ろしい程に自分の気持ちが開放された私は、体調も大分改善しました。

薬も少しずつ減量し、抗不安薬を飲まずに済むようになりました。

実はこれにはまた別の理由があるのです。

不安になる事を抑えてれる抗不安薬。
不安から訪れるパニックを抑えるための薬。

私は、自分が不安になることよりも、パニックが訪れることの方が怖くなってしまったのです。

つまり、パニックを起こすこと=不安の種になってしまったのです。

そのため、私はパニックになった時に対処できる薬を飲むことになりました。

そして、時が経ち今の旦那となる人物と同棲し、結婚をすることになります。

旦那(昔付き合っていたことのある元彼と元さやに戻りました)と出会った時の私は、パニックの薬だけを頓服(症状が出た時だけ)で飲んでいました。

幸せな日々なのに、それでも私はまた、悪化したのです。

職場でのストレス、人間関係でのストレス、もはや理由なんて分かりません。

結果として、パニックの薬は毎晩、そして新たに睡眠薬、毎朝精神向上薬を飲まなくてはいけなくなってしまったのです。

私にとって、これといって思い当たる大きな理由なんてなく、その事も医者に伝えました。

すると、医者は「仕事を辞めることは出来ないのか」と、そう来ました。

生活があるので無理だと言いましたが、要は、今の体で働くのは病気の完治の妨げになるという事なのだそうです。

幸い私は正社員では無いので、かけ持ちしながら、自分が働ける時間に働くというスタンスをとっています。

実際、連勤してしまうと、薬を飲んでいても体調は悪化するのです。

顕著に体に現れるのは、眩暈と動悸です。

環境の変化で、精神疾患は簡単に左右されてしまうものなのです。

一度は週3に減らした勤務も、転職したことを機に、今は週4~5になっています。
(また減らす予定ですが)

少しずつ減らしていけるのが体のためには良いのだと、自分でも分かります。

それでも私は有意義に生きたかった

私の勤務状態だと、生活は厳しいのです。

私は結婚してるので旦那がいますが、裕福な生活とは言えない状況です。

もう少し前の私は、家にいる時も布団にこもって、ぼけーっとした日々を過ごしていました。

でも、もともと多趣味な私です。

お絵描きも好きだし、ゲームも大好き。
細かい事をするのが好きで、言ってしまえば創作活動が大好きなのです。

きっと、元気だったら、仕事に追われて出来なかったこともあるでしょう。

私はずっと、病気=寝てなくてはいけない、遊んではいけないのだと思っていました。

働かざるもの食うべからず・・・ではありませんが、自分の中で、病気になったことを知らず知らずに責めていたのです。

でも、認めました。
これは仕方の無いことだと諦めました。

自分には今は前のような生活は送れないのだと、そう踏ん切りをつけました。

試しに薬をサボってみたら、やっぱり調子は悪くって、そうか、私はまだ病気なんだと。

そしたら、仕事に行っていない自分を許せるようになりました。

でも、それなら与えられた時間を、有意義に過ごしたいと思ったんです。

ずっと描きたかった絵に挑戦してみたり、せっかくゲームをやってるんだから、攻略法をブログに載せてみたり。

今回も、ブログというものが私にはあるから、全般性不安障害のことについて、私の経験談をぜひ伝えたいと思いました。

まだ完治していない私が言うのもなんですが、自分を責めるのはやめにしましょう。

私もさんざん責めました。
働けない自分を恨みました。

でも、無理すると悪化するだけなんです。
治すことが先なんです。

別に悪いことをしてるんじゃないのです。
甘えなんかじゃないんです。

足の折れた人に、走れと言わないですよね。

今、自分を責めている人は、少しだけでも許してあげてください。

全般性不安障害になって、大きく変わってしまったこと

病気にかかる前と後で大きく変わってしまったのは、長時間の車移動が怖くなったことでしょうか。

そして快速の電車。

カラーやパーマをする時の美容室。

要は、長時間逃げ場のない場所に留まることが怖くなってしまいました。

薬は常に持ち歩かないと不安です。

たかが1時間のお出かけでさえ、薬を忘れただけで、この世の終わりのような気分になります。

学生の頃、修学旅行に行っていた私。
きっと今じゃ、あのバス移動は出来ません。

大好きだった、ジェットコースター。
乗れなくなりました。

快速だと楽に帰れる実家。
各駅でとまってくれないと不安です。

知らない人との食事。
息苦しさが半端ありません。

会議のような静かな空間。
めまいが止まらなくなります。

こればっかりは、いつまで経っても悲しいことです。

どうしてなのか、なんでなのか、思えば思うほど悲しくなります。

早く治って欲しいと願いたくもなります。

明日なんて来なければいい

明日消えていなくなればいいのに・・・なんて、そこまでのことは思わなくなりました。

薬のおかげもありますし、一時期よりも体調が良くなったからです。

それでも、明日なんて来なければいいと思ってしまいます。

何をするのにも、不安がまず先にやってくる。
いつもいつも不安ばかり。

考えているとそのうち、明日が来なければ楽なのにと思ってしまうんです。

良くない考え方ですね。

だから私は諦めました。

明日は来るもんなんだと。
だけど、来ない時がいつかやってくるんだと。

その日までは生きていくしかないのだと。

その日までは頑張ってでも生きていかなきゃならないのだと。

話がそれましたが、生死については、私も散々考え尽くしたことがあります。

命を絶つためではありませんが、私の腕には自傷跡が沢山あります。

これも命を絶つためではないのですが、睡眠薬を大量に飲んだこともあります。

ただ、私の知り合いが命を経ったことを知った時、私は残される立場を経験してしまったのです。

そして残された人達を、目の当たりにしてしまったのです。

ダメなんです。
勝手に命を絶つのは。

私は、旦那を一人にさせちゃいけないのです。

上手く言っているとはいえない、私の両親のことも、置き去りにしちゃいけないのです。

私は旦那のために生きていると、言っても過言ではありません。

もっと言ってしまえば、終わりにしてしまいたい人生を、仕方なく旦那のために生きてやってると、その位の気分です。

でも、いつか、そんな日々を続けていって、病気が完治する時が来たら、私は旦那との明日を楽しみにするかもしれない。

明日も明後日も、何か待ち遠しいことが生まれるかもしれない。

今が辛くても、いつかそんな日が来るかも分からないものだから。
と、私はそう思うことにしました。

数年前の私は、本当に明日なんて来ないでくれと、そう思って眠りにつきました。

それでも生きててよかったのです。

今だって辛い気持ちにはなるけれど、あの時よりも前向きだから。

人の人生なんて、いつどこで変わるか分からないものなのです。

良きパートナーを見つけること

私のもともとの病気の悪化は、元彼にあるということを先述しましたが、パートナー選びはかなり重要です。

私の旦那は、正直私の病気のことをあまり理解していないような気がします。

だけど、理解しようとはしてくれてるのだと思います。

だけど冷静に考えたら、全般性不安障害の苦しみって、なった人にしか分からなく無いですか?

誰かにわかってもらおうなんて、それこそ無理な話な気がしませんか?

でも、辛い時にそれを分かろうとしようとしてくれる人が居てくれるというのは、本当に心強いものなのです。

結婚前に、旦那と行ったプラネタリウム。
私は終わる頃には真っ青でした。

綺麗な星空の中、私は自分の呼吸が乱れないように冷静になろうと、冷や汗握って耐えていました。

それを素直に言える相手。
せっかくのデートなんだけれども、素直にそこを話せるってだけで、私の気持ちは楽になります。

旦那さん、心配はしていたけれど、笑っていました。

それでいい、それがいいんです。

話を元彼に戻しますが、バーに飲みに行った時に、私が体調不良を起こしました。

その時に言われた一言が忘れられません。

「人がせっかくいい気分なのに、何ぶち壊してくれてるの?」

全般性不安障害になった方には分かっていただけるかも知れませんが、体調が悪い時、その事を知っててくれる人がいるのといないのでは、雲泥の差がありませんか?

自分一人で体調不良を抱えていると、ますます悪化しませんか?

何かあっても、この人がいてくれる!
そんな人が居るだけで、世界はだいぶ変わります、

私が行っているマインドコントロール

私の場合、パニック障害を軽く併発してるのもありますが、突然前触れもなく、不安な状態に陥ることがあります。

例えば電車の中、人ごみの中。

お医者さんに教えていただきました。

「大丈夫、パニックで死ぬことなんて無いから」

電車でパニクりそうになった時、私は自分で自分を落ち着かせます。

「大丈夫。私はただ電車に乗ってるだけだから」

道端でめまいがした時、他人と過ごしててめまいがした時も同様です。

「大丈夫。なんなら倒れてみろ。その時はその時、誰かに助けてもらえばいい」

いつもいつも、突然パニクって倒れることを想像しては怯えていた私。

でも、そんなのは勝手に倒れれば良いと思うようにしました。

焦ることなんて無いのだと。

それだけでだいぶ楽になりました。

快速も車の長距離も、少しずつ乗れるようになってきています。

そして私は寝つきが悪く、睡眠薬を飲んでも、ほとんど眠れないのですが、寝不足の日の体調は結構酷いのです。

それでも、若い頃オールして遊んでて大丈夫だったんだから、大丈夫でしょ、と軽く流しています。

動悸や眩暈なんてお友達です。

息苦しさはたまに焦りますが・・・・・・。

うまく病気と付き合うのって、考え方もすごい大切なんですよね。

難しいけれど。

こうやって冷静に淡々と私も話しているけれど、落ちる時はとことん落ちます。

でも病気を病気なんだと受け入れた時、少し救われた気になりました。

またいつか、明日を待ち詫びれるように。
またいつか、色んなところへ行けるように。

ゆっくりゆっくり生きていきます。

長くなってしまいましたが、閲覧していただき、ありがとうございました。

コメント

  1. […] 全般性不安障害。それは、私の人生を大きく変えた。 2016-10-07 09:39 […]

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