全般性不安障害とパニック障害の私の経過。たまには病気と向き合ってみる。

病気のこと
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こんにちは。Sachaです。

ブログのデザイン変えたいなー、次は何書いたらいいんだろーと考えてる所ではありましたが、たまには自分の病気と向き合ってみるのも良いかなと。

病気についての説明は、様々なところに載っていると思うので、簡単に説明して、基本的には私の実体験と経過をお話したいと思います。

同じ病気で悩んでる方、少しでも気休めになれば幸いです。

発症時期と飲んでいる薬について

私が初めて全般性不安障害パニック障害だと診断されたのは、26の時でした。

大体6年前になります。

私の場合、全般性不安障害は過度なストレス状態が続くことにより、身体がそれに耐えきれなくなったとの説明を受けました。

残念なことに、大いに心当たりがあります。

私の場合、ある程度の不安まで行くと、パニック症状が現れます。

最初は、
スルピリド(不安のため)
ランドセン(パニックのため)
ゾルピデム(不眠のため)
を服用していました。

スルピリドは、途中から副作用により乳汁が出てきてしまい、服用を中止することに。

そして、ゾルピデムも効かなくなり、別のものに変更することに。

次に、
ランドセン
ベルソムラ(新しい眠剤)
の服用を始めることになりました。

ただ、スルピリドをやめたことで、うつに近い状態になり、途中から、エビリファイを追加することになります。

そして、つい最近、先生と相談をして、エビリファイをやめることにしました。
確か一年半ほど続けてたかと思います。

気持ちに対してのゆとりは出来てきたような気がするんですが、不眠とパニック症状だけは治まらないので、

現在は
ランドセン
ベルソムラ
を服用している状態になります。

薬を減らすということに恐怖を覚えていた時期があった。

治ればいいのにと思う一方で、薬を減らされるということに恐怖を覚えていた時期があります。

スルピリドを辞めることになった時もそうでした。

あの常につきまとってくる不安感、行き場のない恐怖、何に対してもお先真っ暗な考え方…色んなものが再び訪れるような気がしたからです。

6年という歳月の中で、途中何度も、いつになっても治らないじゃないかという苛立ちを抱えたこともあります。

本来の私はどうだったっけ、本来の私なら、こんなことが出来たっけ。
そうやって過去の自分と見比べて、その都度ウンザリして、いっそのこと、治らなくてもいいと気長に受け入れようと思おうとしたこともありました。

美容室も行けない、電車も乗れない、でも仕方ないじゃないかと。

そんな私が、自らの意思でエビリファイを辞めたいと言ったのは、かなり奇跡に近いような気がします。

なぜ、そう思い始めたかは、後半に書くとして、ランドセンとベルソムラを飲んでみて思うことを先に書きたいと思います。

ランドセンを飲んでみて。

私の場合、現在は「頓服」として処方されています。

体調に異変を感じたら飲むし、感じない日があれば飲まなくても良い。

基本的に私の異変の合図は、胸のモヤモヤ感や苦しい感じ、もしくは動悸です。

放っておくと面倒なことになるので、諦めて飲みます。

大体一日に一錠〜三錠くらいですね。
飲まない日は滅多にありません。

ただ、効き目が早いお薬なので、飲めば大事には至りません。

私の中の合言葉として、「まぁいいや」というのを常に持っています。

様々な症状の方がいるとは思いますが、動悸や手の震え、冷や汗など、私と同じような症状が出る方もいるのではないかと思います。

公共の場において、昔はそんな症状が出ること自体が本当に恐怖そのものでしかありませんでした。

だから、「まぁいいや」を合言葉にするようにしたんです。

「どうしよう」と思うと、体調って余計悪くなるもの。

だけど、パニックなんて起こしちゃったら防ぎようがないものじゃないですか。

もしも人様に迷惑をかけるような状況になったとしても、申し訳ないけれど「まぁいいや」と思う。

語弊がありますが、「まぁいいや」と思うことで、人様に迷惑をかけずに済むことがほとんどです。

これ以上具合が悪くなってもまぁいいや。
倒れちゃってもまぁいいや。
私はいつもこうだからまぁいいや。

自分の体質に「まぁいいや」と思うことで、乗り越えられる事が多くなりました。

何もそんなに怖がることは無いんです。

出来れば人様に迷惑はかけたくないし、初めて遭遇する人は怖いと思うかもしれないし、やっぱりそういうのは避けたいところ。

でも、そういう病気なんだと、やっぱり受け入れないとダメなんだと思うんです。

私は「どうしよう」から「まぁいいや」に変えただけで、知らないうちに快速電車が全然怖くなくなりました。

ベルソムラに物申したいこと。金縛り、そして悪夢、倦怠感。

悪夢と金縛り、やめてください。

どうしてもゾルピデムが合わなくて、ベルソムラを服用してるんですが、最近は本当に飲んでも飲まなくても寝れないんです。

変えたい気持ちもあるんだけど、寝れる時は寝れるし…。

ただ、悪夢率高いです。
副作用のようですが、それにしても高い。

しかもおっかないんですよ。
夢が怖くてベルソムラ飲みたくない時があるくらいです。

私は睡眠測定アプリで録音もしてるんですが、飛び跳ねて起きた時に、謎の言葉を叫んでる音声がバッチリ入っていて、その音声がトラウマですw

金縛りに関しては、慣れっこなので、かかったら操ってます。
解き方も分かるのですが、金縛りに関しては放置しています。
(最近は解くのも面倒。すぐにまたかかるし。)

ただ、実生活においてしんどいのは、倦怠感ですね。

7時間効果があると言われてますが、大体残ります。
頭が冴えないし、身体も重い。

結構不愉快な気だるさなんです。

どうせ飲んだって眠れないなら飲まない方がいいんじゃないかとも思うんですが…という考えで、最近は極力飲まないようにしています。

薬を減らそうと思った理由。病気は無いものと思うことにした。

大きなきっかけはハネムーンでした。

飛行機に乗らなきゃいけないという恐怖。
空の上で密閉空間に入れられて、もう私の精神状態はボロボロになってしまうと、本気で思いました。

それでも飛行機に乗らなきゃ海外へは行けないのだから。

その時は、行きたかった気持ちに頼って、勇気を振り絞っただけにしか過ぎませんでした。

ただ現実は、あっさり何事もなく乗れてしまったんです。
薬は飲んだけれど。

それは私にとっては大きな自信になりました。

そのあとも勇気を出して、パーマをしに美容室に行ったりしてみました。
実は何年も怖くて、髪も自分で手入れしていました。

そのうち、何かをしようとする度に訪れる不安を、極力無視しようと思いはじめたんです。

何かあっても「まぁいいや」精神で。

無理をしなきゃいけないわけじゃなくて、やれそうだと思ったら、やりたいと思ったら、病気は無いものと考えて、やってみる。

ほんの小さなことからでも良いと思うんです。

何でもない小さなことも、私たちにとっては大きなことだったりします。

だからこそ、小さなことでも乗り越えられた時の自信って心強いんです。

そうしていく中で、私の中で、エビリファイが無くても、情緒不安定を乗り切れるかどうか挑戦したくなったんです。

本当はランドセンもやめたいけれど、それはまだ無理w

情緒不安定をコントロールするのは、正直かなりしんどいです。
コントロールもくそもないので。

ここ数日もとめどなく不安感が漂っています。

無茶は体に良くないです。
だから、私はいつでもまた、しんどかったらエビリファイを貰う気満々です。

それでいいんだと思うようにしてます。

焦ったってろくなことはないのだから。
あくまでマイペースで、でも少しずつ前向きに。

私、ランドセンの服用をかなり減らせたことが過去にあったんです。
それこそ飲まない日もありました。

それがまた毎晩になり、(今はまた頓服ですが)、かなりショックを受けました。

でも、もうそういうことにいちいち傷つくのはやめることにしました。

焦れば焦るほど、良くならないんです。

ダメならダメでいいじゃないの。
ダメだって、それがイコール悪いことというわけではないんです。

良くなってくるまでに心掛けたこと。

私はおそらく、酷かった時に比べ、今はだいぶ体調が改善されていてきます。

ここに来て、実はあまり喜んではいません。

何かの弾みでまた悪化するかもしれないし、過度な期待をして無茶はしたくないからです。

実際私が良くなってきた過程で、行ってきたことを紹介したいと思います。
(ダメだったことも含めて)

薬を飲むのを我慢する=自分の体調の確認をしようとする。

これはダメなことでした。

自分で飲まなかったくせに、変な悪のスパイラルに陥るからです。

体調悪い→薬を飲まない→悪化する→余計不安になる→どうしようの連発→また悪化する→焦る

こんなことをするのは、自分がどれだけ良くなったか、確かめたいからなんです。

だけどこれは無茶なやり方ですね。

体調が悪い時には素直に薬を飲む方が、メンタル的にも良いです。

病人であることをやめる。

私が最初しんどかったのは、今まで出来たことが出来なくなってしまったことです。

本当に本当に辛かったです。

だから、途端に何も出来なくなったし、何かすることも怖くなりました。

意識改革じゃないですけど、病人であることを忘れるというのは、大変そうで案外簡単です。

普通に生活をするんです。

普通に生活をする上で怖いことってなんですか?

電車に乗ること?美容室に行くこと?

私は共通して、「人前でパニックを起こすこと」でした。

電車そのもの、美容室そのものが怖いんじゃないんです。

人前で自分が自分じゃなくなることが怖かったんです。

そんな姿をさらけ出すのが嫌だったんです。

それこそ「まぁいいや」です。

大丈夫。
人前でパニックを起こしたっていいんです。

「まぁいいや」と思っていれば、案外パニックも起きないものです。

プラネタリウムで息苦しくテンパりましたがw

「まぁいいや」の連呼で、星どころじゃ無かったですw

もちろんそんな時もあるかもしれません。

でも大切なのは、「卑屈にならないこと」だと思っています。

病気であることを「受け止める」のと「受け入れる」のとでは、大きく違うような気がします。

病気を誰かに伝える時、「私は病気だから」と卑屈になるのではなく、「万が一迷惑かけたらよろしく!」位の勢いでいる方が気は楽です。

一般人と同じように生きていく。
これは私にとって一番効果的だったような気がします。

忙しくしてみる。暇な時こそ考え込んでしまうもの。

暇が続くと、余計不安になることが多いんです。

私は幸い多趣味なので、色んなことをやって気を紛らわしています。

ちょっと体調が悪い→休もうとする→余計な不安が襲ってくる→体調悪化

このスパイラルなんですよ。

忙しくしていると、ふと不安が消えている時があります。

他に考えることがあって、不安の入る余地がないという感じでしょうか。

お絵描きしてる時間なんかは、特に集中してて、気が紛れました。

楽しいことを沢山する。ストレス環境から逃げる。

これはなんとも難しいこと。

特にストレス環境から逃げるというのは正直無理に近い話です。

避けようのないストレスなんてゴロゴロ転がっています。

だから、私も実践しきれていないことはあるのですが、関わる人は選ぶように気をつけています。
選べる場合ですけど。

そして、とにかく楽しいことをやってみる。

億劫なんですよね、これがw
実際、楽しいことにも興味持てないというのが実情です。私は。

ただ、笑うことが増えてから、私の体調は良くなっているように感じます。

日々の生活の中で、少しずつ楽しさを見つけていくというのも、自分で出来ることなんじゃないかと思います。

この辛さは自分にしか分からない。それでいいと思う。

私は、誰かに辛さや気持ちを理解してもらおうとするのは諦めました。

「気の持ちよう」と言われることほど、不愉快なものはないから。

「他にも辛い人はいる」と言われること、うざったいものはないから。

私はひねくれてるのかもしれませんw

じゃあ貴様に一体私の何が理解できる?
と思ってしまうんです、私。

心配して言ってくれた言葉なのかもしれない。

それでも、その気持ちを理解出来るだけの余裕を持ち合わせて居ないんです。

誰がどうとかじゃないんですよね。

周りが病気について理解してくれるというのは、とても大切なこと。

でも辛さや気持ちまで理解するのは、とても難しいこと。

自分の病気がどんな病気なのか、それをしっかり理解して、自分と向き合うことが大切なんだと思います。

「パニクったって死にはしない」。
これは私が第二に掲げている合言葉ですw

波が過ぎてしまえば、落ち着くのだから。

確かに生活する上で、常に体調が万全じゃないのは、案外しんどい。

でもそれが私で、それが私の当たり前。

辛くて当たり前。
そこを理解していれば、辛いことに嘆くことが減ります。

ここまでくるのに、何年もかかりました。

でも、私はここに来て、本当に色んなことが変わりました。

私は医者でもカウンセラーでもないけれど、同じ病気で心を閉ざしてしまっている人が居たら、少しでも良くなって欲しいんです。

思ってるほど、絶望的じゃありませんでした。

また、いつかのあの日のように、絶望的だと思ってしまう時が訪れるのかもしれないと、たまに不安はよぎるけど、その時はその時。

もう私も「どうしよう」は卒業したい。

卒業試験…とまではいきませんが、仮免試験の手前くらいまで来ている私は、少なくとも絶望的だとは思っていません。

楽しいと思うこともあります。

それでは、最後まで閲覧していただき、ありがとうございました。

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