こんにちは。
近頃モヤッとしております。
気持ちを切り替えようとしても上手くいかない、どうも気分が優れない…
そんなことって誰にでもあるのではないでしょうか。
プロフィールにもありますが、全般性不安障害と診断される前辺りから、私はかなりストレス耐性が低くなりました。
元気だった頃と比べたら、一目瞭然で、人に話しても、寝ても(というか眠れない)、モヤモヤモヤモヤ…
結果として、体調が悪くなるの繰り返し。
正直こういう体調不良にはうんざりしてるのですが、それは受け入れるしかないこと。
でも、少しでもストレスを軽減させたいですよね。
人に話したいの?何を求めてるの?
人に話してスッキリする時と、人に話しても無駄な時ってありますよね。
もしくは、人に話すのさえ憂鬱な時もあるのではないでしょうか。
私は割とこじらせた生き物なので、誰かに話したところで、多分何かを求めているわけではありません。
そして、大人になっていくにつれて、人には話さず自己処理を試みようとするようにもなってきました。
思いの丈を、ノートに書いたこともありました。
だけど、何もかもがしっくり来ないんです。
しばらく考えて辿り着いた結論。
それは、リアクションのない話し相手にひたすら気持ちを聞いて欲しかった。
多分これなのです。
私の場合、何かを吐き出したい時に、相手に意見を求めることがほとんどありません。
聞いてもらっておいてわがままですが。
私とは真逆な意見を言われたところで反論もしませんし、受け入れようとは試みますが、割とうわの空だったりします。
それが「どうしたらいい?」と、明確に聞きたいことがあるなら話は別です。
じゃなくて、ただ闇雲に、「こーであーでこんなことがあったんだ、疲れたんだ」と、そう伝えたい時。
そんな話を人に話すのも気が引ける時、たまにありませんか?
しかも声に出すことで、余計気持ちが掻き回されるなんてことも。
だからノートに書いてみる。
でも、それはそれで誰も見てない、私だけのノート。
多分私は、何も求めないから、ただ、どこにいるか分からない誰かに、私の気持ちを吐き出したいんだと思います。
友達だからこそ言えない本音、センチメンタルな部分、私にはあります。
全部話せるのが友達だと言われてしまえばそこまでですが、でも私はそうなんです。
話してると言いたいことの全てが言えないこともあるし、本当に思ってるニュアンスを伝えきれないこともあります。
そんな様々なモヤモヤを抱えて、放置してしまったブログ。
でも、また戻ってきました。
ブログは外に向けて発せられるもの。
ブログって、誰かの目に止まるものですよね。
私はずっと、ブログというのは、読んでもらう方にとって有意義である必要があると思っていました。
というか、今も思っています。
もちろん、ブログの目的にも寄るとは思います。(日記とか雑記とか、そういうのは私も自分の書きたいように書いてるし)
私はゲームのことを書いてることが多いので、なかなか気づけませんでしたが、自分自身のことを書いていくのも、時には誰かのためになるのかもしれないと思ったんです。
あとで別記事にて、モヤモヤの経緯について書く予定でいますが…
①何がきっかけだったか
②何が起こったか
③何を感じたか
④何をすべきか
①、②はさておき、③、④は、読んでくれた人に何かしらの影響(良い意味で)を与えられるように書くべきだと思っています。
ただ愚痴のようにつらつら言葉を並べても、結局、何も解決されません。
何を感じて、一体どうしていきたいのか、それをじっくり考えながら、文にしていくことは、自分の成長にも繋がるんじゃないでしょうか。
そういう風に考えてみたら、自分自身の出来事を書いていくのも、読んでくださってる方に影響を与えることになるんじゃないかと思ったんです。
例えば英語…(例えがおかしいw)
英語を話せるようになりたい!
話せるようになった!
なんて報告は求めてないですよね?
一体どのようにして話せるようになったか、過程が知りたくありませんか?
例えが悪かった…w
人間関係や仕事のことで悩んでる方って多いはずなんです。
似たような出来事も沢山転がってると思うんです。
そんな時、自分ならどうするか、どう感じたか、何がベストなのか、自分なりの最善策が誰かの役に立つかもしれない。
自分が悩んでることが誰かの役に立つかもしれない。
対、人に、面と向かって話すと、保守的になってしまうことがあるじゃないですか。
しかもじっくり考える時間もない。
ブログは人に向かって話すけど、充分に時間をかけられます。
思いの丈をまっすぐぶつけられます。
改善点を見つけることも出来るかもしれない。
客観的に自分を見ることだって出来ます。
自分にとっても、同じ悩みを持つ誰かにとっても、良い方向に向かったら、いい事だと思うんですね。
それが出来るのが、この「ブログ」なんじゃないかと思ったのです。
書くことの意味。見てもらえることのありがたさ。
誰かに話を聞いてほしい、でもレスポンスがあることで、余計気持ちの整理がつかない…
そんなことを言っては、聞いてくれてる人に失礼だけども、私はそういう事があります。
特に私は、最後は自分で決めるっていう、頑固なところも持ち合わせているので、結局は自分でどうにか答えを出そうとしてしまいます。
自分の気持ちの1から100までを書くつもりで、尚且つそこで、自分が何を感じ、どうしたいのか、文章と睨めっこしながら書き記していくのは、案外ストレス解消に繋がる気がします。
感情が高まっている時ほど、誤った判断をするし、冷静に物事が考えられないじゃないですか。
不特定多数の方が見てるブログで、(私は匿名で顔も出てないのもあるけど)、自分の気持ちを素直に書くことは、友達に相談するよりも容易いかもしれない。
多少偽善者ぶりたくて、いいことを書こうとするかもしれない。
でも、その偽善者ぶった回答が、私が正しいと思ってることなんだと思うんです。
本当はぶっ潰したい相手、許したくない相手、例えばそんな相手のことを偽善者ぶって、
復讐なんてしても自分のためにならないから、気休めに塩まじないをしようwとか…
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内心復讐したい気持ちでいっぱいでも、偽善者ぶって出した「復讐なんて自分のためにならない」という回答。
それは、私の気持ちと裏腹に、私の脳が正しいと思ってる事なんだと思うんです。
自分の書いた偽善者文面に、納得させられることも時にはあります。
何かを書くって、結構意味があることだと思います。
そして、それを見ていただけるという環境。
何もレスポンスが無くても、誰かが知っててくれる、もしくは、知ってくれてるかもしれない程度だって、気休めになります。私は。
たまに、言いたいことを書きなぐった手紙を、紙飛行機にして飛ばしたくなります。
どこかで誰かが拾って読んでくれたら嬉しいから。
私はとてもとても弱いから、どこがで知らない誰かが自分の気持ちを知っててくれることが、本当にありがたいのです。
という訳で、いつもありがとうございます。
それでは、今回も閲覧して頂き、ありがとうございました。
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